長男哲弘(当時24歳)
生まれた当時は山田家にも余裕があったらしく、
この頃の深川ではめずらしく幼稚園に通ったらしい、
ほんとかなあ?
それが小学校出た途端に日本橋の煮豆屋に住み込み奉公にだされる。
時代が悪かったのかと思う。
関東大震災で深川あたりは一度壊滅しちゃったからねえ。
大人たち特に男衆はショックから立ち直れずに、
酒浸りになったりしたんだと思うよ。
ま、うちのじいちゃんもその口だね。
とてもしらふでは生きて行けなかったんだな。
そして東京大空襲!
人生のうちに2度も地獄を見せられちゃ、惚けるしかないよな。
戦後じいちゃんは一斎金になる仕事には付かなかった。
哲弘から大震災の話はじかに聞いたことないけど、
生き残った者は生き残った者でそうとう苦労したらしい。
満州に出征後まもなく右ふくらはぎ貫通銃創で帰国、
名誉の負傷!ってやつだね、なにが名誉か知らないけどひどい話です。
戦況が悪化してくるとまた満州に出征させられて現地で終戦を迎える。
彼にとって幸いなのは、大空襲の時深川にいなかったことぐらいだね。
戦後どういう訳か三越本店に勤務でき隠居するまで三越一筋の人でした。
平成15年7月他界。
長生きして孫に囲まれ後年はいい時間を過ごしたと私は思いたいです。